天ヶ城(あまがじょう)は、築城年・築城者不明の山城です。内山城、高岡城、麓城と呼ばれることもあります。伊東四十八城の一つとして知られています。
16世紀後半の伊東氏全盛期、伊東四十八城の一つだった頃には、内山城と呼ばれていました。島津氏と伊東氏との争いの中、1577年に城主の野村文綱が寝返って、島津氏の支配下に入ります(伊東崩れ)。
1600年の関ヶ原の戦いが島津義弘の与した西軍の敗北に終わると、義弘によって天ヶ城と改名され、伊東氏に対する防衛拠点とされましたが、1615年には一国一城令によって廃城となりました。
大淀川の北岸に位置する丘陵に築かれた大規模な山城で、空堀で区切った各曲輪を群郭式に配した南九州型城郭です。
現在では天ヶ城公園として整備され、曲輪や空堀などが遺構として残る他、本丸跡に模擬天守(内部は天ヶ城歴史民俗資料館)が建てられています。桜の名所としても知られています。