府内城は、1597年に福原長堯(石田三成の妹婿)によって築城された平城です。大分府内城、大分城、荷揚城、白雉城(はくちじょう)と呼ばれることもあります。
1598年に豊臣秀吉が没すると福原長堯が転封となって早川長政が入城するも、1600年の関ヶ原の戦いで西軍方に付いた長政が戦後に改易されて1601年には竹中重利(竹中半兵衛の従弟)の居城となり、この時期に大改修を受けています。
1634年に竹中氏が改易されて日根野吉明が入り、1656年に吉明が死亡すると1658年に松平忠昭が入城、以後には大給松平氏の居城となって明治維新に至っています。
別府湾の南岸に築かれた梯郭式の平城(海城)で、中枢である本丸と二の丸(東丸・西丸)の内外、それらを囲む北丸と三の丸の外周、さらにその外側を囲む城下町の外周と、堀を多重に巡らせた惣構の大規模な城です。
現在では本丸跡と二の丸跡が大分城址公園として整備されており、人質櫓・宗門櫓が現存し、天守台・石垣・堀などが遺構として残っている他、大手門・廊下橋・櫓などが復元されています。桜の名所としても知られています。また、南東には大友氏館跡があります。