フルスト原遺跡(フルストばるいせき)は、14世紀頃に造営されたと考えられている城(城館)あるいは集落の遺跡です。遠弥計赤蜂(おやけあかはち 八重山の首領)の居城という説があります。
1500年に遠弥計赤蜂が尚真王(第二尚氏王統第3代)に討伐される(オヤケアカハチの乱)と、石垣島を含む八重山諸島は琉球王国の支配下に入りました。
石垣島の南端付近、宮良湾を望む丘陵に築かれています。沖縄の城(ぐすく)のような石塁が15基あるものの、出土品に武器が含まれていないことから、これらは屋敷囲いと考えられています。
現在では、墓や御嶽などが遺構として残り、7基の石塁が復元されています。