八森城(はちもりじょう)は、応仁年間(1467年~1469年)に大井義久によって築城されたと言われている平山城です。八森館、八森陣屋、矢島城(やしまじょう)、矢島陣屋と呼ばれることもあります。
大井氏(後に由利12頭の矢島氏)は16世紀末に滅亡、1602年に最上義光が由利郡を与えられ、家臣の楯岡満茂が本荘城を築いて統治拠点とする一方、八森城は楯岡満広(満茂の弟)の居城となりました。1622年に最上氏が改易されると翌年には打越光隆(由利12頭の1人)が入城したものの1635年にやはり改易され、生駒騒動で流罪となった元高松藩主の生駒高俊が1640年に入城して以降、生駒氏の陣屋として明治維新に至っています。
1868年の戊辰戦争では、新政府方に付いたことで庄内藩に攻められ、城方が火を放って撤退、落城しています。
山地から平野部へと東に突出する舌状台地(八森山)全体を利用して築かれた、単郭式の平山城(陣屋)です。
現在では、石垣・堀・土塁が遺構として残っており、八森城址の石碑が立てられています。西隣には、矢島町歴史交流館があります。