日出城(ひじじょう)は、1602年に木下延俊(細川忠興の義弟)によって築城された平山城です。暘谷城(ようこくじょう)と呼ばれることもあります。
1600年の関ヶ原の戦いで活躍して日出を与えられた木下延俊の居城として、細川忠興の縄張りと穴太理右衛門の指揮の下で築かれ、以後も木下氏の城として明治維新に至っています。
南の別府湾に面する台地を中心に築かれた平山城(海城)で、海沿いに本丸を配し、陸側の三方を梯郭式に二の丸・三の丸で囲んでいます。石垣は穴太積み(穴太衆が手がけた野面積み)で造営されています。
現在では、裏門櫓(二の丸館に移築)と鬼門櫓(日出町歴史資料館に移築)が現存し、各地に天守台・蒲鉾塀・人柱祠などが遺構として残っています。二の丸跡には日出藩の藩校「致道館」(1858年設立)も移築現存しています。