磐城平城(いわきたいらじょう)は、1603年に鳥居忠政によって築城された平城です。龍ヶ城と呼ばれることもあります。
伊達政宗に睨みを利かせるべく徳川家康が鳥居忠政に築かせた、と伝えられています。幕末には安藤氏の所領となっており、戊辰戦争の磐城の戦いで新政府軍に包囲され、敢闘の末に落城、その際に籠城側が放った火によって焼失しています。
三方を川に囲まれた丘陵地帯に築かれた、梯郭式平山城です。
現在では、一部が丹後沢公園として整備されており、塗師櫓石垣などの遺構が残っています。本丸跡地も、不定期ながら一般公開されています。
磐城平城の内濠
磐城平城(いわきたいらじょう)の内堀は、かつて磐城平城の内堀として利用されていた沼です。丹後沢と呼ばれることもあります。
磐城平城の普請の際、沼を堰き止めて内堀にしようとしたものの決壊が相次ぎ、そこで丹後爺という老人を人柱にしたところ決壊しなくなった、との伝説があります。
現在では、この内堀を含む一帯が丹後沢公園として整備されており、内堀の周囲に遊歩道も設けられています。
磐城平城の城門
密蔵院賢沼寺:福島県いわき市平沼之内字代ノ下
※市区町村の文化財(密蔵院楼門)
密蔵院賢沼寺(けんしょうじ)は、807年に徳一によって創建されたと伝えられている(現在地への遷座は1431年)真言宗の寺院です。沼之内弁財天、賢沼弁財天と呼ばれることもあります。
山門は、磐城平城の裏門が17世紀後半に寄進・移築されたものと伝えられている四脚門でしたが、2011年の東日本大震災で損傷して撤去されました(2017年に再建)。
境内には他に、弁戝天堂・密蔵院楼門(弁財天の山門 1747年建造)・賢沼(かしこぬま)などがあります。