鹿児島城は、1601年に島津忠恒(島津義弘の子)によって築城された平城です。鶴丸城と呼ばれることもあります。
1600年の関ヶ原の戦いで西軍方に付いた島津義弘が隠居すると、島津氏の当主となった島津忠恒は、自身の居城である内城に代わる島津氏の本拠として鹿児島城を築きました。ここには上山城という山城がすでにあり、鹿児島城はその麓に築かれています。
1863年の薩英戦争では、英国艦隊の砲撃によって、櫓や門の他、城下町の多くの家屋も破損・焼失しました。1873年には、火災で本丸を焼失しています。
1877年の西南戦争では、政府軍に占領されて二の丸を焼失した一方で、少数精鋭を率いた西郷隆盛が包囲を破って山上の上山城に籠城、ここで最終決戦が行われました。
鹿児島湾を隔てて桜島を東に望む城山の東麓に築かれた小規模な平城で、本丸の北東~南西に堀を巡らせ、その南西に二の丸を置いています。城山には上山城があり、これを詰城部とする平山城とも言えます。
現在では本丸跡が鹿児島県歴史・美術センター黎明館に、二の丸跡が県立図書館に、上山城跡が城山公園になっており、石垣や堀などが遺構として残っている他、御楼門が復元されています。周辺には西南戦争関連の遺構が多く残っています。