陸奥金ヶ崎城(かねがさきじょう)は、802年に坂上田村麻呂によって築城されたという伝承のある平城です。金ヶ崎城、金ヶ崎館、金ヶ崎要害と呼ばれることもあります。
1591年に伊達氏の支配下に入った後、伊達領の最北端にあって仙台藩21要害の1つとされ、1602年に桑折景頼(伊達氏重臣)が入城、一国一城令を受けて金ヶ崎館と改名した1615年に留守宗利(水沢伊達氏第2代)が入城し、1644年に大町定頼が入城して以降には大町氏の城(要害)として明治維新に至っています。
北上川の西岸に築かれた連郭式の平城です。長年月の間に本丸が北上川に侵食され、大町氏の時代には二の丸が中心となっていました。
現在では北上川の侵食がさらに進んでいますが、土塁などが遺構として残っています。南には、金ケ崎要害歴史館や金ケ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区があります。