勝尾城(かつのおじょう)は、15世紀に渋川氏によって築城された山城です。三ケ山城、三上城、筑紫城三上山、勝山城、筑紫城、山浦城と呼ばれることもあります。
築城以来、渋川氏と少弐氏による争奪の舞台となり、1521年からは筑紫氏(少弐氏家臣→大内氏傘下)の居城となっていました。
1551年の大内義隆の死後に大友氏傘下となって以降、離反と帰順を繰り返した末に、1586年の島津氏侵攻の際には大友氏傘下にあって島津忠長に攻められ、城主の筑紫広門が降伏し落城しました。しかし豊臣秀吉による九州平定が始まると、広門によって奪還されています。平定後、広門の転封に伴って廃城となりました。
佐賀平野の北東に位置する城山の頂上を中心に築かれた山城で、山地から平野へと流れ下って合流する安良川と四阿屋川に北~東~南を守られながら、西の佐賀平野と東の筑後平野との交通に睨みを利かせています。周囲の谷地に筑紫氏居館や家臣の屋敷などを含む城下町を形成しつつ、それらを取り込んだ惣構となっており、石垣も多用されています。
現在では登山道が整備されており、石垣・土塁・堀切などが遺構として残っています。南麓の筑紫氏居館跡は、筑紫神社となっています。