清色城跡:鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名
※国の史跡
清色城(きよしきじょう)は、入来院氏(渋谷氏支流)によって築城されたと考えられている山城です。
南北朝時代、入来院氏と島津氏との争いの中で、島津元久・島津伊久らの攻撃を受け、1397年に入来院重頼が降伏して落城しました。しかし、後に元久と伊久が仲違いすると、重頼は伊久と組み、1411年に清色城を奪還しています。
戦国時代後期には入来院氏が島津氏の傘下に入り、1595年に入来院重時が移封されたものの、1613年に入来院重高が地頭として戻って、1615年に一国一城令によって廃城となりました。
樋脇川の西岸の丘陵に築かれた土の山城で、シラス台地を空堀で区切って各曲輪を群郭式に配した南九州型城郭です。天然と人口の空堀が入り混じり、かなり複雑な構成になっています。江戸時代には、東麓に御仮屋(地頭館)が置かれました。
現在では登山道が整備されており、曲輪や堀切が遺構として残っています。御仮屋跡にも石垣や堀が残り、東隣には入来麓武家屋敷群があります。