神代城(こうじろじょう)は、南北朝時代に神代貴益によって築城されたと言われている山城です。鶴亀城、蓑鶴城と呼ばれることもあります。
築城以来の神代氏の居城として戦国時代末期に至っており、1584年の沖田畷の戦い(有馬・島津連合軍と龍造寺軍との合戦)では城主の神代貴茂が龍造寺方として参戦するも敗れ、有馬氏の支配下となりました。この時には、神代城を攻めあぐねた有馬晴信に講和を持ちかけられた貴茂が交渉の場で殺された、とされています。
豊臣秀吉による九州平定が完了した1587年に佐賀鍋島氏の所領となりましたが、1615年の一国一城令に伴って廃城、それに代わる統治拠点として東麓に鍋島陣屋が築かれました。
島原半島の北端の台地に築かれた大規模な土の山城で、南の本丸と北の各曲輪との間に堀切を設けて台地を分断しています。北の有明海に加えて田圃などの湿地にも四囲を守られている上、多くの支城を擁しており、難攻不落の堅城とされています。
現在では、本丸跡は神代神社と道政院稲荷神社に、北側は農地になっており、土塁や空堀が遺構として残っています。東隣には、鍋島陣屋などを含む神代小路重要伝統的建造物群保存地区があります。