三春城は、1504年に田村義顕によって築城されたと伝えられる平山城です。舞鶴城と呼ばれることもあります。
永正年間(1504年~1521年)以来、田村氏の本拠地となっていました。豊臣秀吉の奥州仕置で田村氏が改易されて以降には城主が頻繁に変更された末、1645年から幕末まで秋田氏の所領であり続けました。
1868年の戊辰戦争では、棚倉城が落城すると三春藩は奥羽越列藩同盟を脱退して新政府軍に降伏、三春城は戦わずして新政府軍の支配下となりました。
築城時点では大志多山の頂上に山城として築かれており、江戸時代初期に松下氏と秋田氏による改修で平山城に変わっています。本丸が上下2段に分かれた構造になっている点が特徴です。
現在では、城山公園として整備されています。桜の名所としても知られています。
明徳門
明徳門は、三春藩で江戸時代中期に秋田倩季(よしすえ 三春藩第7代藩主)によって創設された藩校「明徳堂」の講所の門として、寛政年間に建造(1785年の火災の後で再建)されたと推定される八脚門です。藩講所表門と呼ばれることもあります。
廃藩置県後にも師範学校などの門として使われ、1947年に三春警察署の建設に伴って現在地に移築されて、三春町立三春小学校の校門として使用されています。
「明徳堂」の扁額は、秋田倩季の筆と伝えられている講所扁額を元にして作られています。