陸奥小浜城(おばまじょう)は、1471年に大内宗政(石橋氏家臣)によって築城されたと言われている平城です。小浜城、下舘と呼ばれることもあります。
この地の風土が大内宗政の生地である若狭小浜に似ていたことから命名された、と伝えられています。
大内氏は戦国時代後期には伊達氏に属していましたが、1585年に城主の大内定綱が蘆名氏へと寝返り、伊達政宗に支城を落とされて逃亡、小浜城は戦わずして伊達氏の支配下に入りました。政宗は翌年まで小浜城に滞在し、ここを拠点として二本松城を攻略しています。
豊臣秀吉の奥州仕置以降、蒲生氏→上杉氏→蒲生氏と支配者が入れ替わり、1627年に廃城となりました。
眺望に優れる丘陵地帯に築かれた平山城で、複数の丘に置いた曲輪を連郭式に配し、その一部に多重の腰曲輪を設けています。南の宮森城(上舘)と対を成して、防衛体制を構築しています。奥州仕置後の蒲生氏時代には、本丸の虎口に石垣が造営されました。
現在では本丸跡は史跡公園として整備されており、石垣・曲輪・堀切・空堀が遺構として残っています。戦国政宗桜など、桜の名所としても知られています。