中津城は、1588年に黒田孝高(如水)によって築城された平城です。豊前中津城、中津川城、扇城、小犬丸城、丸山城と呼ばれることもあります。日本三大水城の一つに数えられています。
豊臣秀吉による九州平定が完了した1587年、まず馬ヶ岳城に入った黒田孝高は、翌年に中津城を築城しました。この頃、孝高の子の黒田長政が、秀吉の転封命令を拒否した城井鎮房を中津城に誘き寄せ、謀殺しています。
関ヶ原の戦い(1600年)の戦後処理で黒田父子が転封され、代わりに細川忠興が入城すると大改修を開始、忠興が小倉城に移るとまず細川興秋(忠興の次男)が、次いで細川忠利(忠興の三男)が城主を務めました。1632年から小笠原氏の、1717年からは奥平氏の居城となり、明治維新に至っています。
豊前海に注ぐ中津川の河口付近に築かれた梯郭式の平城(海城)です。扇城という別名は、大手門付近から中津川に向けて扇状に各曲輪が配されていることに由来します。築城時点の石垣と細川氏時代の石垣が混在していることが特徴です。1619年の細川忠興の書状で天守閣を明石城に寄贈することが言及されており、明石城の築城にその部材が使用されたと考えられています。
現在では、石垣や堀などが遺構として各地に残っています。本丸跡は中津城公園として整備されており、大鞁櫓が復元され、萩城の天守閣を参考にした模擬天守(内部は奥平家歴史資料館)が建てられている他、城井鎮房を祀る城井神社があります。