二本松城跡:福島県二本松市郭内3丁目
※国の史跡、都道府県の文化財(洗心亭)、
日本百名城
二本松城は、室町時代中期に畠山満泰(二本松満泰)によって築城された平山城です。霞ヶ城、白旗城と呼ばれることもあります。戊辰戦争で戦場となったことで知られています。
1585年に伊達政宗に攻撃された際には佐竹義重や相馬義胤らの援軍を得て撃退に成功(人取橋の戦い)しましたが、翌年に再び攻め込まれると義胤の仲介を受けて開城、二本松畠山氏は滅亡し、二本松城は伊達氏の所領となりました。
伊達氏・蒲生氏・上杉氏などの所領を経て、1643年には丹羽光重(丹羽長秀の孫)の居城となり、この際に改修を受けています。
戊辰戦争では、新政府軍に攻められ、1日にして落城しました(白河口の戦い、二本松の戦い)。この際に多くの建物が焼失しています。
白旗ヶ峰の頂上に築かれた城郭とその麓の居館で構成される、梯郭式の平山城です。
現在では霞ヶ城公園として整備されており、復元された石垣と箕輪門を見られます。桜や紅葉の名所としても有名です。
二本松城大手門跡
二本松城大手門は、二本松城の正門に当たる大手門として、1834年に築造された櫓門です。坂下門と呼ばれることもあります。
この大手門の完成は、1643年に丹羽光重(丹羽長秀の孫)が二本松藩の初代藩主となって以来の悲願の成就でした。しかし、1868年の戊辰戦争で二本松城が落城した際に焼失し、戦後まもなく取り壊されたと考えられています。
現在では、門の左右の石垣(亀甲積み崩しで造営)が遺構として残っています。