延岡城は、1601年に高橋元種(秋月種実の子)によって築城された平山城です。縣城(あがたじょう)、亀井城と呼ばれることもあります。千人殺しの石垣で有名です。
豊臣秀吉による九州平定(1587年)で秋月種実が降伏すると、その子である高橋元種は翌年に縣を与えられ、縣土持氏の本拠だった松尾城に入りましたが、後に延岡城を築いて移りました(縣土持氏の城館を元にして築いたとの説もあり)。1613年に高橋元種が改易された後、有馬氏→三浦氏→牧野氏→内藤氏と城主を変えながら明治維新に至っています。
五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれる延岡山に築かれた平山城で、山頂を天守台として本丸を設け、その周囲に二の丸と三の丸を梯郭式に配しています。本丸下の高石垣「千人殺し」は、角の隅石を外すだけで全壊すると言われています。築城時から有馬氏時代まで整備が続いた城下町は、現在の延岡市の基盤となりました。
現在では城山公園として整備されており、石垣や曲輪が遺構として残っていて、北大手門が復元されている他、本丸跡には内藤政挙(延岡藩の最後の藩主)の像が建てられています。天主台跡には鐘楼が建てられ、鐘守が時を告げています。