名護屋城は、1591年に豊臣秀吉によって築城された平山城です。名護屋御旅館と呼ばれることもあります。
1590年に天下統一を達成した豊臣秀吉の唐入り(大陸進出)に際して、黒田孝高(官兵衛)の縄張りで、主に九州の諸大名による突貫工事で築かれました。1592年に始まった朝鮮出兵中には秀吉の本営となり、遠征軍への補給・連絡の役割も果たしています。
1598年に秀吉が死亡して遠征軍が帰還すると存在意義を失って廃城となり、後に破却されました。
波戸岬の中央付近、玄界灘を望む丘陵を中心とする梯郭式の平山城で、大陸への出兵を目的に短期間で築かれたにもかかわらず、大坂城に次ぐほどの大規模な織豊系近世城郭です。廃城後には、資材が唐津城の築城に流用された他、大手門が仙台城に移築されたと伝えられています。
現在では天守台・石垣・井戸などの他、諸大名・武将の陣屋跡も遺構として残っています。また、近隣には名護屋城博物館が建てられています。