佐賀城跡:佐賀県佐賀市城内2丁目
※国の重要文化財(鯱の門)、都道府県の文化財、
日本百名城
佐賀城は、龍造寺氏によって築城された平城です。村中城、龍造寺佐賀城、佐賀龍造寺城、佐嘉城、栄城、沈み城、亀甲城と呼ばれることもあります。
築城年は不明ながら、戦国時代末期まで龍造寺氏の本拠地とされていました。1570年には大友宗麟に攻められるも、数カ月に及ぶ籠城の末、大友軍の総攻撃の直前に奇襲を仕掛けて寄せ手を破り、和睦に持ち込んでいます(今山の戦い)。
1584年に龍造寺隆信が沖田畷の戦いで敗死した後、重臣の鍋島直茂(佐賀藩の藩祖)が龍造寺家の実権を握り、1607年に幕府から鍋島家が佐賀藩主家と認められると改修に着手、直茂の長男である勝茂(佐賀藩の初代藩主)の時代となっていた1611年に完工しました。以降、鍋島氏の居城として明治維新に至っています。
1874年の佐賀の乱では、政府軍が籠城したもののまもなく落城し、大半の建造物を焼失しました。
佐賀平野の中央付近に築かれた平城で、本丸と二の丸を梯郭式に、その西から北にかけて三の丸などを輪郭式に配して、周囲に大規模な水堀を巡らせています。城の規模に比して石垣が少ないことが特徴です。
現在では、本丸御殿御座間や鯱の門が現存しており、天守台や堀などが遺構として残っている他、本丸御殿が復元されています。