佐伯城(さいきじょう)は、1602年に毛利高政によって築城された山城です。鶴ヶ城、鶴屋城、鶴谷城と呼ばれることもあります。
関ヶ原の戦い(1600年)の戦後処理で海部郡に転封された毛利高政は、まず栂牟礼城に入りましたが、統治に不適だったことから、翌年に佐伯城の築城を開始、1606年には完成に至りました。
1637年には山麓に三の丸が築かれて統治の中心となり、以後も毛利氏の居城として明治維新に至っています。
佐伯湾にほど近い八幡山に築かれた総石垣の近世山城で、山頂の本丸から峰沿いの南西に二の丸・西の丸を、北東に北の丸を、連郭式に配しています。一方、南東の谷戸から平野部にかけて三の丸を配して城主居館や藩庁を置いており、山上の詰城部と麓の居館部で構成される平山城の趣もあります。三の丸の北には武家屋敷群を配しています。
現在では山上の主郭跡が城山歴史公園に、麓の三の丸跡が佐伯市歴史資料館などになっており、三の丸の御殿の一部(住吉御殿として南東の川沿いに移築)と櫓門が現存し、天守台や雛壇状石垣などが遺構として残っています。東麓の武家屋敷群跡にも遺構が多く残っています。