三戸城は、1539年に南部晴政によって築城されたとされている山城です。留ヶ崎城と呼ばれることもあります。
戦国時代から江戸時代初期にかけて、南部氏の居城となっていました。
馬淵川と熊原川に挟まれた河岸段丘の上に築かれた、連郭式の大規模な山城です。
現在では三戸城跡城山公園として整備されており、石垣・堀跡・土塁・枡形などの遺構が残っていて、綱御門が復元されている他、公園内の歴史民俗資料館や三戸城温故館(模擬天守)で多くの資料を見学できます。
三戸城の表門
三戸城表門は、三戸城の南端に近い武者溜に綱御門(大手門)として設けられていた門です。現在では、龍川寺の山門として使用されています。
綱御門は1774年に倒壊するまで櫓門だったとされており、三戸城でも櫓門として復元されていますが、現存するこの門は薬医門です。1634年の盛岡城移転に伴って龍川寺に下げ渡された門柱を元にして造られた、と伝えられています。