全国風景ガイド : 日本の城

三戸城

詳細情報

青森県三戸郡三戸町梅内
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
 三戸城は、1539年に南部晴政によって築城されたとされている山城です。留ヶ崎城と呼ばれることもあります。
 戦国時代から江戸時代初期にかけて、南部氏の居城となっていました。
 馬淵川と熊原川に挟まれた河岸段丘の上に築かれた、連郭式の大規模な山城です。
 現在では三戸城跡城山公園として整備されており、石垣・堀跡・土塁・枡形などの遺構が残っていて、綱御門が復元されている他、公園内の歴史民俗資料館や三戸城温故館(模擬天守)で多くの資料を見学できます。

奥州・鹿角街道追分石
青森県三戸郡三戸町梅内
[写真]
[写真]
※三戸町同心町の奥州・鹿角街道追分から三戸城内に移設

三戸城の表門
龍川寺:青森県三戸郡三戸町大字川守田
[写真]
[写真]
[写真]
[写真]
※三戸城の表門がある寺
※市区町村の文化財
 三戸城表門は、三戸城の南端に近い武者溜に綱御門(大手門)として設けられていた門です。現在では、龍川寺の山門として使用されています。
 綱御門は1774年に倒壊するまで櫓門だったとされており、三戸城でも櫓門として復元されていますが、現存するこの門は薬医門です。1634年の盛岡城移転に伴って龍川寺に下げ渡された門柱を元にして造られた、と伝えられています。

三戸城の搦手門
法泉寺:青森県三戸郡三戸町大字六日町
[写真]
[写真]
※三戸城の搦手門がある寺
※市区町村の文化財
 三戸城搦手門は、三戸城本丸に設けられていた薬医門です。現在では、法泉寺の山門として使用されています。
 南部氏が1634年に盛岡城へと移転するのに伴って法泉寺に下げ渡された、と伝えられています。


[]
Copyright (C) ASH Joe Masumura