志布志城(しぶしじょう)は、築城年・築城者不明の山城です。
記録に初めて登場するのは14世紀前半で、志布志港を押さえる要衝に位置しているだけに、戦国時代後期までに多くの戦を経験、肝付氏(重久篤兼に攻められて1336年に落城)→楡井氏(畠山氏らに攻められて1357年に落城)→畠山氏(内城に居城、島津氏久らに攻められて1365年頃に落城)→新納氏(島津忠朝らに攻められて1528年に落城)→豊州島津氏(1562年に城を明け渡す)→肝付氏(1576年頃に降伏)→島津氏、と城主を変えた末、豊臣秀吉による九州平定(1587年)以降には廃城同然となり、1615年の一国一城令を受けて正式に廃城とされました。
志布志湾を南に望むシラス台地群に築かれた大規模な土の山城で、各曲輪を連郭式に配した内城を中枢としつつ、その南西に松尾城・高城・新城を群郭式に配した南九州型城郭です。まず松尾城が、次いで内城が築かれ、争乱の中でさらに規模を順次拡大していった、と考えられています。14世紀半ばには、内城の城主が畠山氏、松尾城の城主が新納氏、という状況になったこともありました。
現在では登山道が整備されており、曲輪・堀切・竪堀などが遺構として残っています。近隣には多くの庭園(志布志麓庭園)が現存する他、志布志郷地頭仮屋跡もあります。