島原城は、1618年に松倉重政によって築城された平城です。森岳城、高来城と呼ばれることもあります。
有馬直純の転封に伴って日野江城に入った松倉重政は、一国一城令を受けて1616年に日野江城と原城を廃城とした後、自らの城として島原城の築城を開始、1624年には完成に至りました。しかし、キリシタン弾圧や苛政が原因で1637年に島原の乱が発生、島原城は一揆勢に城下町を焼き払われています。鎮圧後の1638年に松倉氏が改易されると、以後には譜代大名の居城となって明治維新に至っています。
島原半島の東端近く、島原港の北に築かれた平城で、南から北へ本丸・二の丸・三の丸を連郭式に配し、本丸と二の丸との間を橋で繋いで堀を巡らせ、さらに全体を外郭で囲んでいます。近世城郭らしい石垣の多用と天守閣、多数の櫓など、豪壮な造りが特徴です。
現在では本丸跡は島原城跡公園として整備され、二の丸跡は公共施設に、三の丸跡は学校になっており、石垣と堀が遺構として残っている他、天守閣(内部は歴史資料館)・西櫓・巽櫓(西望記念館)・丑寅櫓(民具資料館)・長塀が復元されています。