新庄城は、1625年に戸沢政盛(新庄藩初代藩主)によって築城された平城です。沼田城、鵜沼城と呼ばれることもあります。新庄藩の藩庁として知られています。
1622年の最上氏改易に伴って新庄に移封された戸沢政盛は、まず鮭延城に入りましたが、不便だったことから、鳥居忠政(当時の山形城主)の縄張りで新庄城を築いて移りました。
1868年の戊辰戦争では、新庄藩が奥羽越列藩同盟を離脱したことで庄内藩に攻められ、落城して、建築物の大半を焼失しました。
差指野川(さすのかわ)の東岸に築かれた輪郭式の平城です。中心部に本丸・二の丸(一部)を置き、その外側を内堀と二の丸で、さらに外側を外堀で囲んで、その北東に三の丸を配し、三の丸の北と東にも堀を設けています。築城時点では天守閣を備えていましたが、1636年に焼失しました。
現在では本丸跡と二の丸跡(一部)が最上公園として整備されており、土塁や内堀などが遺構として残っている他、天満神社(戸沢氏の氏神)の本殿・拝殿が現存しています。桜の名所としても知られています。
天満神社
天満神社は、1628年に戸沢政盛(新庄藩初代藩主)によって建立された神社で、新庄藩の藩庁である新庄城の本丸の南西に位置しています。新庄天満神社と呼ばれることもあります。菅原道真を祀っています。
戸沢氏の氏神として、もともと角館に所在していたものを、移封に伴って戸沢氏がまず常陸松岡へ、次いで出羽新庄へ遷座しました。
藩政時代の唯一の現存建築である本殿・拝殿は、江戸時代初期に建てられました。