棚倉城(たなぐらじょう)は、1625年に丹羽長重によって築城された平城です。亀ケ城、新土城、近津城と呼ばれることもあります。
ここにはもともと近津明神(都々古和気神社とも)があり、丹羽長重はこれを遷宮(現在の馬場都々古別神社)してから棚倉城を築きました。
江戸時代には、会津と奥州をつなぐ交通の要衝の重要拠点となっていました。城主が頻繁に変更された末、1866年に阿部正静の所領となり、戊辰戦争の際に新政府軍に攻められて落城しました。
輪郭・梯郭式の平城で、天守閣を持たず、土塁を多用して構成されています。多聞櫓で囲まれた本丸が特徴です。
現在では亀ケ城公園として整備されており、土塁や本丸の堀が遺構として残っています。桜や紅葉の名所としても知られています。
棚倉城二ノ丸南門
長久寺は、1707年に太田資晴(棚倉城第5代城主)によって創建された日蓮宗の寺院です。田山花袋『棚倉百勝詠歌集』で、「ほのぼのとあけゆく山に音すなり 麓の寺のあかつきの鐘」と詠まれています。
山門は棚倉城二ノ丸南門(伝1625年建造)を創建時に寄進され移築したものと伝えられており、棚倉城で唯一の現存建築とされています。八脚門形式で、左右には金剛力士像(明治時代に馬場都々古別神社から移設)を配しています。