富岡城跡:熊本県天草郡苓北町富岡
※市区町村の史跡
富岡城は、1602年に寺沢広高によって築城された平山城です。臥龍城と呼ばれることもあります。
豊臣秀吉の下で唐津に封ぜられた一方、1600年の関ヶ原の戦いでは東軍方に付いた寺沢広高は、戦後処理で天草郡を与えられると、統治拠点として富岡城を築きました。
1637年に発生した島原の乱では、城代の三宅籐兵衛が一揆勢に討ち取られ、富岡城も攻撃されたものの、撃退に成功しています。乱の鎮圧後に寺沢堅高(寺沢広高の子)が天草領を没収され、代わって入城した山崎家治も1641年に転封して天領となった後、1664年に戸田忠昌の所領となりましたが、城の維持が領民の負担になっているとの理由で1670年に三の丸(富岡陣屋)を残して破却され、廃城となりました。翌年には再び天領となり、富岡陣屋は代官所として明治維新まで使用されました。
天草諸島の下島の北西に突き出る富岡半島の丘陵に築かれた梯郭式の平山城で、南の袋池(山崎家治の時代に完成した百間土手で入り江を堰き止めた池)・東の巴湾・狭い砂州という天然の要害を利用しつつ、近世城郭らしく高石垣も備えた、難攻不落の堅城です。山上の南側に本丸を、北側に二の丸を配し、東麓に三の丸を置いています。
現在では富岡城公園として整備されており、百間土手・石垣・堀切などが遺構として残り、高麗門や複数の櫓(富岡ビジターセンターと苓北町歴史資料館を含む)などが復元されている他、鈴木重成(初代代官として天草の復興に尽力)・正三和尚(重成の兄)の像と勝海舟・頼山陽の像が建てられています。北西麓には、アダム荒川殉教公園があります。