全国風景ガイド : 日本の城

津和野城

詳細情報

津和野城跡:島根県鹿足郡津和野町後田
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 津和野城は、1295年に吉見頼行(石見吉見氏、源範頼の末裔)によって現在の鹿足郡津和野町後田(かのあしぐん つわのちょう うしろだ)に築城された山城です。一本松城、三本松城、石蕗城と呼ばれることもあります。
 それまでの居城に代わって築かれ、吉見頼直(吉見頼行の子)が当主となっていた1324年に完成して、吉見氏の本拠地となりました。
 1551年、大内氏家臣の陶隆房(晴賢)が謀反を起こし、大内義隆を自害に追い込んで大内氏の実権を掌握(大寧寺の変)すると、義隆の義兄弟である城主の吉見正頼は主君の敵を討つべく1553年に挙兵します。これに対して晴賢が翌年に反撃を開始、大内義長や益田藤兼と共に吉見方の諸城を攻略し、三本松城を包囲しましたが、三本松城とその支城の下瀬城・御嶽城を攻めあぐね、毛利氏が大内氏と断交し挙兵(防芸引分)したこともあって、約半年に及ぶ籠城戦は和睦によって決着しました(三本松城の戦い)。1555年の厳島の戦い(大内氏の実権を握った陶晴賢と毛利元就との戦い)に始まる毛利氏の大内攻め(防長経略)の際、正頼も同調して1557年に長門へ侵攻し、大内氏滅亡後には毛利氏の傘下に入っています。
 1600年の関が原の戦いで西軍総大将を務めた毛利輝元が戦後に転封され、吉見広頼(吉見正頼の子)がそれに随伴すると、代わって城主となった坂崎直盛(出羽守 宇喜多直家の甥)の元で大改修を施されました。1616年の千姫事件(大坂城落城時に救出された千姫を巡る事件)で直盛が死亡し、坂崎氏が改易されると、翌年に亀井政矩が入城、亀井氏の居城として明治維新に至っています。
 南に大きく湾曲する津和野川の北岸、津和野の町を見下ろす霊亀山に築かれた大規模な山城です。吉見氏の時代に度々改修・拡張を受けて多くの堀切や空堀を備える土造りの堅城となった後、坂崎直盛の時代に高石垣や天守閣を備えた近世城郭に変わり、亀井氏の時代には津和野藩邸が北東麓に設けられて城下町も整備されました。二の丸にある天守閣、南の本城と北の出丸に分かれた一城別郭、といった特徴を持ちます。
 現在では登山道やリフトが整備されており、石垣・竪堀・堀切などが遺構として残っています。紅葉の名所としても知られています。北東麓の津和野藩邸跡には、馬場先櫓(1856年再建とされる)と物見櫓が現存しています。

津和野城藩庁門
浜田県庁の門:島根県浜田市殿町
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 浜田県庁の門は、かつて津和野城の山麓の津和野藩庁で利用されていた四脚門です。
 1854年の火災で焼失した後に再建されたものと推定されており、1871年の廃藩置県で津和野藩が廃藩されると翌年には付属の建物と共に浜田県庁として移築され、島根県への合併後にも那賀郡役所や那賀地方事務所として利用されていました。付属の建物が老朽化に伴って破却され、さらに1966年に浜田合同庁舎が移転すると、翌年には浜田城に移築されました。
 四脚門とは、門柱の前後に控柱を備えた門のことです。


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