馬ヶ岳城(うまがだけじょう)は、942年に源経基(清和源氏の祖)によって築城されたと伝えられている山城です。大谷城と呼ばれることもあります。
築城以来何度も攻められては落城しており、戦国時代になると大友氏・大内氏・毛利氏による争奪の舞台となっています。
1578年に城主となった長野氏が1586年の豊臣秀吉による九州平定に際して秀吉に降伏すると、翌年には九州に赴いた秀吉の逗留地として使われ、平定後に黒田孝高(官兵衛)の居城となりました。
1600年の関ヶ原の戦いの戦後処理で豊前に小笠原氏が入った後、1615年の一国一城令に伴って廃城となりました。
北の京都(みやこ)平野や東の周防灘を望む馬ヶ岳に築かれた連郭式の山城で、西側の山頂に本丸を、東側の山頂に二の丸を置いて、本丸周辺から二の丸までの稜線に沿って曲輪を配しています。一方で北麓の谷地に居館を置き、その東に隣接する尾根に土塁・横堀・畝状竪堀などの防御を施しています。
現在では登山道が整備され、堀切・曲輪・土塁などが遺構として残っている他、二の丸の北に展望台が設けられています。