臼杵城(うすきじょう)は、16世紀半ばに大友宗麟によって築城された平山城です。丹生島城、巨亀城、金亀城、亀城と呼ばれることもあります。
府内の大友氏館に代わる大友氏の本拠として築かれました。1586年の豊薩合戦(大友氏と島津氏との争い)では島津家久に攻め込まれましたが、ポルトガルから入手した大砲による砲撃などで撃退しています。
1593年に文禄の役(朝鮮出兵)での失態から大友義統が改易されると豊臣氏の支配下に入り、福原長堯(石田三成の妹婿)や太田一吉が入城して、大改修を施されました。
1600年の関ヶ原の戦いで戦功を挙げた稲葉貞通が同年に臼杵入りすると、以後には稲葉氏の居城となって明治時代を迎えています。
1877年の西南戦争では、旧臼杵藩家老らが籠城して薩摩軍と戦うも落城しましたが、まもなく政府軍に奪還されています。
臼杵湾の最奥部に位置する丹生島に築かれた平山城(海城)で、海とそれに面する断崖という天然の要害を利用した堅城です。江戸時代初期に、それまでの渦郭式から連郭式に変更されています。
現在では周囲が大規模に埋め立てられ、主郭跡が臼杵公園として整備されており、畳櫓と卯寅口門脇櫓が現存し、天守台・石垣・堀などが遺構として残っている他、二の丸大門櫓が復元されています。