宇土城は、1588年に小西行長によって築城された平山城です。城山、鶴城、近世宇土城と呼ばれることもあります。
1587年の豊臣秀吉による九州平定で活躍して宇土などを与えられた小西行長の居城として築かれましたが、1600年の関ヶ原の戦いで行長が西軍方に付くと加藤清正の攻撃を受けて落城します。戦後に清正の隠居城となり、清正の死後の1612年に廃城、1615年の一国一城令を受けて破却されました。その後、1637年の島原の乱ですでに廃城だった原城を一揆衆が拠点としたことを受けて、より徹底的に破却されました。
宇土半島の付け根、宇土古城の東の丘陵に築かれた平山城です。小西行長の時代には、大規模な水堀・水路を巡らせて武家屋敷や城下町まで含む惣構だったと推定されています。加藤清正の時代になると行長時代の城が破却・埋設された上で大改修が行われており、その際に天守閣が熊本城に移築されて宇土櫓になったと伝えられています。
現在では本丸跡が宇土城山公園として整備されており、石垣や堀が遺構として残っている他、小西行長の像が建てられています。桜の名所としても知られています。