宇土古城は、1048年に菊池氏によって築城されたと言われている平山城です。西岡台、名和城、中世宇土城と呼ばれることもあります。
鎌倉時代末期頃になると宇土氏(菊池氏分家)の居城となっており、15世紀後半には宇土為光が城主を務めていましたが、肥後守護の座を巡って菊池氏との争いの舞台となり、1503年には落城、翌年に名和顕忠(為光の娘婿)が入城して宇土名和氏の居城となりました。
1587年の豊臣秀吉による九州平定に際して、名和顕孝は秀吉に帰順して所領を安堵されますが、同年の肥後国人一揆で中立を貫き、これをきっかけとして翌年に秀吉の攻撃を受けて宇土古城は落城、顕孝は改易されました。代わって宇土に入った小西行長が新たに宇土城を築いたのに伴って、宇土古城は廃城になったと考えられています。
宇土半島の付け根、宇土城の西の台地(西岡台)に築かれた土の平山城で、東の千畳敷と西の三城(さんのじょう)を連郭式に配しています。
現在では公園として整備されており、柱跡・空堀・虎口などが遺構として残り、城門と木柵が復元されています。