八代城(やつしろじょう)は、1622年に加藤正方(道長流加藤氏の家臣)によって築城された平城です。松江城、白鷺城、白石城、不夜城、不知火城と呼ばれることもあります。
1619年の地震で麦島城を失った加藤忠広(加藤清正の子)の命を受けて築城が開始されたものの、1632年に忠広が改易され、細川忠利が熊本藩に移封されて細川氏の所領になると、八代城には細川忠興(忠利の父)・立孝(忠利の弟)父子が入りました。忠興・立孝の死後の1646年に細川氏家老の松井興長が城主となって以降、松井氏の居城として明治維新を迎えています。
八代港に注ぐ球磨川の河口付近に築かれた平城で、南の川と西の海に加えて北から東にかけて外堀を設け、本丸を取り巻くように配された輪郭式の各曲輪の間に内堀を巡らせて、さらに周囲の城下町を城壁で囲んだ惣構となっています。
現在では、本丸跡は八代城跡公園として整備されており、三の丸跡に松浜軒(旧熊本藩八代城主浜御茶屋)が現存、北の丸跡には松井神社(旧松井氏家臣団などによって創建)があり、天守台・虎口・石垣・堀などの遺構が各地に残っています。