伏見桃山陵:京都府京都市伏見区桃山町古城山
伏見城は、1597年に豐臣秀吉によって築城された平山城です。桃山城、木幡山城と呼ばれることもあります。明治天皇の陵墓(伏見桃山陵)としても有名です。
豐臣秀吉は、1592年に近辺の指月に伏見城(指月伏見城)を築いて隠居城としていましたが、1596年の慶長伏見地震で倒壊したので、翌年に木幡山で新たに伏見城(木幡山伏見城)を築きました。
1598年、豐臣秀吉がこの城で没すると、大坂城に移った豊臣秀頼に代わって徳川家康が入城しました。1600年の関ヶ原の戦いに際しては、西軍による攻撃を受け、守将の鳥居元忠らが奮戦したものの、13日間の籠城の末に攻め落とされて、建築物の大半を焼失しています(伏見城の戦い)。
1602年頃、小堀政一(遠州)を作事奉行、藤堂高虎を普請奉行として、修復されました。徳川家康・秀忠・家光は、この城で将軍宣下を受けています。しかし1619年には廃城となり、建築物や資材は二条城・淀城・福山城などに移築・流用され、元禄時代頃には開墾されて桃の木が植えられました。
1912年に明治天皇が崩御すると、この地に伏見桃山陵が造られ、埋葬されました。1914年には、その隣に伏見桃山東陵(昭憲皇太后の陵墓)が造られています。
木幡山を全面的に使って築かれた、梯郭式の平山城です。廃城後に多くの建築物が他の城に移築されており、中でも天守閣は二条城に、本丸御殿は大坂城(仮御殿)に、櫓は福山城(伏見櫓)・膳所城・岸和田城・尼崎城に移築されています。
現在では桃山陵墓地(宮内庁管理地、正月三が日のみ特別参拝として敷地内公開)となっており、その参道に石垣の遺構が残っています。