明知城跡:岐阜県恵那市明智町
明知城(あけちじょう)は、1247年に遠山景重(明知遠山氏の祖)によって築城された平山城です。白鷹城と呼ばれることもあります。明智光秀の生誕地という伝説で知られています。
戦国時代後期には、遠山氏の支配下で、武田氏と織田氏による争奪戦の舞台となっていました。1574年には武田勝頼に包囲され、織田信長の救援を得られたものの、城内で謀反が発生し、落城して武田氏の支配下となりました。しかし、その翌年には長篠の戦いで信長が勝頼を破り、明知城も織田信忠(信長の嫡男)によって奪還されました。
本能寺の変の後、遠山氏は豊臣氏家臣の森長可に城を追われ、翌年の長久手の戦いで長可が戦死した隙を突いて奪還に成功したものの、間もなく森忠政(長可の弟)へ返還させられました。
1600年の関ヶ原の戦いに際しては田丸氏の所領となっており、西軍に付いた田丸氏を遠山利景らが追い出したことで、再び遠山氏の支配下となりました。
1615年、一国一城令に伴って廃城となりました。
丘陵に築かれた土造りの平山城で、横堀と大規模かつ多数の畝状竪堀を曲輪群の外に巡らせていることが特徴です。
現在では公園として整備されており、曲輪・堀切・畝状竪堀などの遺構を見られます。
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