芥川山城跡:大阪府高槻市原
芥川山城(あくたがわさんじょう)は、1515年に細川高国によって築城されたと考えられている山城です。芥川城、原城、三好山城と呼ばれることもあります。三好長慶の居城として知られています。
両細川の乱(細川澄元・晴元親子と細川高国との家督争い)の最中に築城され、高国の家臣である能勢氏が城主を務めていましたが、1526年に晴元が挙兵して高国と対立すると、翌年には晴元方に降伏して開城しています。
1547年、細川晴元と対立する細川氏綱の側に城主が寝返ったことで晴元方に攻められ、降伏しました。1553年には三好長慶に攻められて開城、三好氏の本拠となりました。
1568年、織田信長が足利義昭を伴って摂津に侵攻してくると、三好氏が逃亡し、足利義昭が入城して、幕府御供衆の和田惟政が城主となりました。和田氏家臣の高山飛騨守(高山右近の父)が城代を任されています。しかし翌年に惟政が高槻城へ移ると、その後数年にして廃城となりました。
大阪平野を一望する急峻な三好山に築かれた連郭式の大規模な山城で、西・南・北を芥川に守られる天然の要害に位置しています。斜面を区切るように盛られた特徴的な竪土塁など、戦国時代らしい土造りの城ですが、一部には石垣も見られます。
現在では登山道が整備されており、土塁・曲輪・石垣などの遺構が残っています。