大宰府政庁跡:福岡県太宰府市観世音寺4丁目
大宰府政庁は、大宰帥(だざいのそつ 大宰府の長官)による政治・儀礼の場として設けられた、大宰府の主要施設です。
7世紀後半頃に造営された大宰府は、西海道九国三島の統治拠点であると共に、アジア大陸を望む外交・防衛の最前線でもあったことから、政庁を始めとする様々な施設を備え、西の都として機能していました。藤原純友の乱の最中、940年頃には、純友軍の焼き討ちに遭って一時焼失しています。12世紀前半頃に官舎としての大宰府は廃され、政庁など各施設も解体された、と考えられています。
外周は回廊で囲まれており、南の辺に南門が、北の辺に北門が設けられています。その内側には、南の辺と平行の回廊に中門とその両脇の衛門舎が、北の辺と並行の回廊の中央に正殿が建てられています。これら2つの回廊の内側には東西2つずつで合計4つの脇殿が、正殿の北の区画には後殿と西楼・東楼が配されています。建築物の構造は、8世紀初頭までの掘立柱建物から、それ以降の礎石建物へと変化しています。
現在では史跡公園として整備されており、礎石など建築物の遺構が残っている他、正殿跡に3つの石碑(1871年・1880年・1914年建立)が建てられています。桜など季節の花の名所としても知られています。南東の隣接地には、大宰府展示館があります。
国の特別史跡