福井城址:福井県福井市大手3丁目
福井城は、1601年に結城秀康(越前松平氏の祖)によって築城された平城です。
関ヶ原の戦いでの功績によって越前北ノ庄が結城秀康の所領になると、かつて付近にあった北の庄城(柴田勝家の本拠地)を包含する形で築かれました。越前松平氏の居城として明治維新を迎えています。
足羽川の北岸に築かれた輪郭式の平城で、足羽川も含めて掘を幾重にも巡らせて、重要部分の石垣には切込接を、それ以外には打込接を用いています。
現在では本丸跡が福井県庁などになっており、天守台の石垣や一部の水堀が遺構として残っている他、御廊下橋などが復元され、御本城橋が架けられています。
福井城外堀
福井城外堀:福井県福井市宝永3丁目
※芝原用水が流れる福井城外堀
※疎水百選
芝原用水は、越前松平氏家老の本多富正によって整備された水路で、日本最初期の上水道の1つです。芝原上水、御上水と呼ばれることもあります。
結城秀康(越前松平氏の祖)が福井城を築城する際、城下の地下水が飲用に適さなかったので、元々あった灌漑用水(北庄用水)を拡充して造られました。飲用水・堀への取水・庭園の泉水・灌漑用水として使われていました。
九頭竜川から取水し、城の北東で分岐して、城内と城下町でそれぞれの流路(内輪用水、外輪用水)を形成しています。
現在でも一部が灌漑用水として利用されている他、市立郷土歴史博物館では福井城舎人門遺構の外堀部分に使われています。
福井城舎人門
福井城舎人門:福井県福井市宝永3丁目
福井城舎人門(とねりもん)は、福井城の最も外側の堀の北辺に設けられていた高麗門です。清兵衛町見附御門、江戸町口御門、御泉水裏御門と呼ばれることもあります。
高麗門とは薬医門を簡略化した平屋の門で、冠木に被せる屋根を小型化しつつ控え柱にも小さな屋根を被せているのが特徴です。
現在では福井城舎人門遺構(市立郷土歴史博物館の施設)として、一帯の石垣や外堀なども含めて復元されています。