福岡城跡:福岡県福岡市中央区城内
福岡城は、1601年に黒田長政によって築城された平山城です。舞鶴城、石城と呼ばれることもあります。
1600年の関ヶ原の戦いで功績を挙げて筑前に移封された黒田長政は、まず名島城に入りましたが、城下町整備の余地がないことから、南西の福崎丘陵に新たな城を築いて、地名を福岡と改めました。以来、明治維新に至るまで、黒田氏の居城であり続けました。
那珂川の河口付近、博多湾を北に臨む福崎丘陵に築かれた、梯郭式の大規模な平山城です。周囲に堀を巡らせており、特に西側では埋め立てて海と切り離した入江を大堀として利用しています。築城時には、名島城の資材が流用されています。47基もの櫓を備えている他、天守台も造営されており、初期には天守閣が建てられていた(1620年の細川忠興の手紙に記述あり)との説があります。
築城当時には未開地でしたが、城下町の整備によって那珂川対岸博多と並び立つほどになり、現在の福岡市の基盤となりました。
現在では、本丸・二の丸・三の丸の跡が舞鶴公園および福岡城 鴻臚館案内処 三の丸スクエアとして、大堀跡が大濠公園として、整備されています。舞鶴公園には二の丸の多聞櫓や三の丸の櫓(移築 かつて潮見櫓と伝わっていた)が現存し、天守台が残っており、三の丸の下之橋御門が復元されている他、旧母里太兵衛邸長屋門(黒田八虎の1人である母里友信の屋敷の門)や名島門(黒田二十四騎の1人である林直利の屋敷の門で、元は名島城の脇門)が移築現存しています。他の各所にも堀と石垣が遺構として残っており、かつて移築されていた祈念櫓と潮見櫓は解体保管されています。
国の史跡、国の重要文化財(多聞櫓)