福山城:広島県福山市丸之内1丁目
福山城は、1619年に水野勝成(徳川家康の従兄弟)によって築城された平山城です。久松城、葦陽城と呼ばれることもあります。
武家諸法度に違反したとして改易された福島正則に代わり、毛利氏など西国の有力な外様大名への押さえとして、1619年に備後などを与えられた水野勝成は、まず神辺城主となったものの、小規模な神辺城では不便であることから、新たに福山城を築いて城下町も整備しました。
1698年に水野氏が断絶すると一時的に幕府領となったものの、1700年以降には譜代大名(奥平松平氏→阿部氏)の居城に戻り、明治維新に至っています。
1868年の戊辰戦争では、徳川譜代の福山藩は朝敵と見なされ、福山城は新政府軍の攻撃を受けますが、間もなく降伏して、本格的な戦禍を免れました。
常興寺山に築かれた本丸を二の丸と三の丸が輪郭式に囲む平山城で、城下町まで取り込んだ惣構となっています。西国街道と瀬戸内海という陸海の交通の要衝に位置しており、7基もの三重櫓や多聞櫓の長さ、北面に鉄板を張った黒い天守閣が特徴です。近世城郭としては最末期に新築された城の1つで、神辺城や伏見城の資材を流用しており、伏見城からは伏見櫓・月見櫓・御湯殿など多くの建築物が移築されています。
現在では、本丸と二の丸の跡に伏見櫓と筋鉄御門(本丸大手門)が現存し、礎石・石垣・井戸などが遺構として残っている他、天守閣・月見櫓・御湯殿・鏡櫓・鐘櫓が復元され、内藤家長屋門(阿部氏家臣の武家屋敷の門)が移築されています。三の丸跡は市街地になっており、櫓台や石垣が遺構として残っています。
国の重要文化財(伏見櫓、筋鉄御門)
福山城長屋門
岡本亀太郎本店:広島県福山市鞆町鞆
福山城長屋門は、福山城三の丸で御屋形(藩主居館)の正門として使われていた長屋門です。岡本家長屋門と呼ばれることもあります。
長屋門とは、門の両側に長屋を設けて居住可能としている門のことです。1873年に移築されたと言われており、現在では片側の長屋のみが残った状態となって、岡本亀太郎本店(1855年創業)として利用されています。
市区町村の文化財