御着城址:兵庫県姫路市御国野町御着
御着城(ごちゃくじょう)は、1519年に小寺政隆(赤松氏一族)によって現在の姫路市御国野町(みくにのちょう)に築城された平城です。茶臼山城、天川城と呼ばれることもあります。
1530年には浦上村宗の播磨侵攻の際に攻め落とされ、小寺政隆も自害しましたが、翌年の大物崩れで村宗が戦死すると、小寺則職(政隆の子)を城主として小寺氏の本拠地になりました。
1575年、織田信長の命を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が播磨侵攻を開始すると、小寺氏家老の小寺孝高(黒田官兵衛)は織田方に付くよう城主の小寺政職に助言しましたが、政職は1578年に荒木村重が謀反を起こすとそれに同調し、孝高は村重を説得しようとして失敗し捕らえられます(有岡城の戦い)。謀反方の諸城が秀吉に攻撃される中、御着城も1579年に降伏して落城し、廃城とされました。
播磨三大城の1つに数えられる大規模な平城で、南と西を天川に守られつつ北と東には堀を多重に巡らせて、城下町までを囲い込んだ惣構としています。山陽道を押さえる交通の要衝に位置しています。
現在では、本丸跡は市役所東出張所(外観は天守風)や御着城跡公園などに、二の丸跡は市民公園などになっています。御着城跡公園には堀が遺構として残り、石碑が建てられ、天川橋(旧西国街道で1828年建造)が移築されている他、公園の南には小寺大明神(小寺氏を祀る)が、西には黒田氏の廟所(黒田孝高の祖父と母の墓)があります。二の丸跡には、土塁と堀が遺構として残っています。