郡上八幡城:岐阜県郡上市八幡町柳町
郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)は、1559年に遠藤盛数によって築城された平山城です。八幡城、積翠城、郡城、虞城と呼ばれることもあります。山内一豊の妻の生誕地という説があります。
戦国時代末期に一帯を支配していた東氏の拠点の赤谷山城を攻める際、遠藤盛数(山内一豊の妻の父とされる)によって築かれました。この戦いに勝利した盛数は、この城を拠点として一帯を支配します。
本能寺の変の後、織田信孝に与していた遠藤慶隆(遠藤盛数の長男)が改易されると、1588年に城主となった稲葉貞通によって大改修を施されています。
1600年の関ヶ原の戦いに際しては、稲葉貞通も遠藤慶隆も最終的には東軍に属したにもかかわらず、様々な錯誤が重なって数度の戦闘が発生、双方に多大な被害を出した末、慶隆が城主に返り咲きました(八幡城の合戦)。
吉田川と小駄良川の合流地点付近で南に張り出した城山に築かれた平山城で、大規模な堀切や戦国時代末期らしい野面積みの石垣が特徴です。
現在では登山道や車道が整備されており、曲輪や石垣などの遺構が残っている他、1933年に大垣城を参考にして建てられた模擬天守(日本最古の現存木造再建天守、資料館)があります。麓には、山内一豊とその妻の像が建てられています。
都道府県の文化財、市区町村の文化財(模擬天守)