萩城跡:山口県萩市大字堀内
萩城(はぎじょう)は、1604年に毛利輝元によって築城された平山城です。指月城(しづきじょう)と呼ばれることもあります。
萩城の築城以前から、指月山には、津和野城主の石見吉見氏によって津和野城の出城として築かれた指月城がありました。1582年~1588年には、吉見正頼(毛利氏家臣)の隠居城となっています。
関が原の戦い(1600年)で西軍総大将を務めた毛利輝元が戦後処理で転封されると、広島城に代わる毛利氏の居城として、指月山の周辺を埋め立てて1604年から新規築城され、1608年に完成しました。この間の1605年には、普請に使う五郎太石の盗難に端を発して、重臣らが輝元に粛清される事件(五郎太石事件)が起きています。
幕末まで毛利氏の居城であり続けましたが、1862年に山口城への移転が決定、1867年には移転が完了しています。
松本川と橋本川が日本海に注ぐ三角州、海に突き出した指月山の南麓に築かれた、梯郭式で総石垣の平山城(海城)です。北の指月山の山頂(指月城跡)には詰丸(要害とも呼ばれる)が設けられ、主に番兵による哨戒に用いられていました。城下町は、現在の萩市の基盤となりました。
現在では本丸・二の丸・三の丸の跡が指月公園として整備されており、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(1856年建造)が現存し、天守台・礎石・石垣が遺構として残っています。詰丸跡には登山道が整備されており、枡形や石切場などの遺構が残っている他、土塀の一部や水溜が復元されています。
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