浜田城跡:島根県浜田市殿町
浜田城は、1620年に古田重治によって築城された平山城です。亀山城と呼ばれることもあります。
大坂の陣で功績を挙げて浜田を与えられた古田重治によって、1620年から築城が始まり、1623年に完成しました。長州藩の毛利氏に睨みを利かせるべく築かれたと考えられています。
1646年には、古田重恒(古田重治の長男)が古田騒動(重恒の跡継ぎ候補を巡るお家騒動)を起こしています。1648年に重恒が死去して古田氏が断絶、以降の城主は松井松平氏→本多氏→松井松平氏と変わり、1836年に竹島事件(清や朝鮮との密貿易)が発覚して松井松平氏が転封されると越智松平氏が城主となっています。
1866年の第二次長州征伐の際、大村益次郎の率いる長州軍が進軍してくると、城主の松平武聰(徳川斉昭の十男、徳川慶喜の異母弟)が病に伏していたこともあって撤退を余儀なくされ、その時に浜田藩兵が自ら放った火によって城下町もろとも焼失しました。
松原湾に注ぐ浜田川の河口付近、浜田川とヨシ沼に囲まれる亀山に築かれた梯郭式の平山城で、水運に恵まれた立地にあります。北~西~南の松原湾と浜田川に加えて、東側のヨシ沼から南北に堀を設けています。石垣には、野面積みと谷積みが用いられています。南に隣接する夕日ヶ丘には、夕日の丸が築かれています。
現在では本丸・二の丸・三の丸の跡が城山公園として整備されており、石垣・土塁・枡形などが遺構として残っている他、登城口には津和野藩庁門が移築されています。近隣には、浜田城資料館(1907年に建造された御便殿を改修整備)があります。
都道府県の史跡
津和野城藩庁門
浜田県庁の門:島根県浜田市殿町
津和野城藩庁門は、かつて津和野城の山麓の津和野藩庁で利用されていた四脚門です。現在では浜田城の登城口に移築されています。
1854年の火災で焼失した後に再建されたものと推定されており、1871年の廃藩置県で津和野藩が廃藩されると翌年には付属の建物と共に浜田県庁として移築され、島根県への合併後にも那賀郡役所や那賀地方事務所として利用されていました。付属の建物が老朽化に伴って破却され、さらに1966年に浜田合同庁舎が移転すると、翌年には浜田城に移築されました。
四脚門とは、門柱の前後に控柱を備えた門のことです。