引田城跡:香川県東かがわ市引田
引田城(ひけたじょう)は、室町時代に寒川氏(東讃の国人)によって築城されたと考えられている平山城です。
応永年間(1467年~1469年)に寒川氏の支配下にあったとの記録が残っており、永正年間(1504年~1521年)には四宮右近(寒川氏家臣)の居城となっていました。
1570年、三好氏に攻められて寒川氏が開城し、三好氏の支配下に入っています。
1583年には、前年の中富川の戦いで長宗我部元親に敗れた十河存保(三好氏一族)を支援すべく、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の命を受けて仙石秀久が入城しましたが、長宗我部軍との野戦に敗れ、逃げ込んだ引田城でも包囲されて撤退(引田の戦い)、引田城は長宗我部氏の支配下となりました。
羽柴秀吉による四国平定が1585年に完了した後、その功績で仙石秀久は讃岐を与えられましたが、翌年の九州攻めでの失態(戸次川の戦い)によって改易されました。続いて讃岐を与えられた尾藤知宣も九州攻めでの失敗から所領没収となり、代わって1587年に讃岐入りした生駒親正は、まず引田城に入城しましたが、東に寄り過ぎで讃岐統治に不向きと見なして聖通寺城に移り(後に高松城を築城)、引田城は1615年の一国一城令によって廃城となりました。
播磨灘に突き出した半島の先端、淡路島までを一望する丘陵(城山)に築かれた平山城(海城)で、讃岐と阿波の国境付近に位置しています。各尾根に曲輪を配し、その間の谷地に貯水池(化粧池)を設けています。生駒親正の時代に織豊系近世城郭となって、野面積みの石垣が造られました。
現在では登山道が整備されており、石垣・化粧池・曲輪などが遺構として残っています。東の曲輪跡には、引田鼻灯台があります。
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