広島城:広島県広島市中区基町
広島城は、1589年に毛利輝元によって築城された平城です。鯉城、在間城、当麻城と呼ばれることもあります。
それまでの毛利氏の本拠だった吉田郡山城に代わって政治・経済の中心となるべく、穂井田元清(毛利元就の四男)らを普請奉行として築かれました。1591年に毛利輝元が入城し、1599年に完成しています。
1600年の関が原の戦いが終わり、西軍総大将だった毛利輝元が転封された後、城主となった福島正則の下で改修・拡張を施され、城下町も本格整備されました。しかし、その規模の大きさが徳川家康を怒らせた上、1619年には洪水被害の修復が無許可改築と見なされて、正則は武家諸法度違反で改易されました。代わって入城した浅野長晟(浅野長政の次男)以降、浅野氏の居城として明治維新に至っています。
1864年の第一次長州征伐の際には幕府軍の本営が置かれましたが、1868年の戊辰戦争では広島藩が官軍側となっていたので戦禍を免れています。
1945年、広島市に投下された原子爆弾によって、それまで残っていた天守閣が倒壊・焼失しました。
瀬戸内海に注ぐ太田川の中洲に築かれた輪郭式の大規模な平城で、海上交通の要衝に位置しています。その立地ゆえ、洪水に度々悩まされ、治水や干拓が江戸時代を通して続けられました。
現在では本丸と二の丸の跡が広島市中央公園 広島城区域として整備されており、石垣や内堀が遺構として残っている他、天守閣(内部は展示室、展望室)や表御門、平櫓・多聞櫓・太鼓櫓が復元されています。三の丸跡は市街地になっています。
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