長姫神社:長野県飯田市追手町2丁目
飯田城は、13世紀初頭に坂西氏(飯田郷の地頭)によって築城されたと言われている平山城です。長姫城と呼ばれることもあります。
1554年の武田信玄による下伊那平定に際して武田氏の支配下に入り、重要拠点として改修を施されて拡張されています。
1582年の織田信長・徳川家康らによる武田征伐では、織田信忠(信長の長男)に攻められると城将が高遠城に撤退し、落城しました。
その後、織田氏→豊臣氏→徳川氏と支配者が遷移する中で、特に豊臣氏時代には毛利秀頼や京極高知によって近世城郭へと改修され、城下町も整備されました。江戸時代前期以降には堀氏の所領となって、明治維新を迎えています。
天竜川支流の松川と野底川に挟まれた河岸段丘の突端に築かれた平山城で、城下町を惣構で囲っています。桝形虎口の多用や石垣など、織豊系城郭の特徴も持ちます。
現在では本丸跡が長姫神社となっており、石塁・空堀・土塁などの遺構が残っている他、観耕亭碑(幕末の藩主であった堀親義が本丸に建てた観耕亭の由来を記した石碑)が建てられています。二の丸跡には、飯田市美術博物館があります。藩主居館があった桜丸跡は長野県飯田合同庁舎として利用されており、桜丸御門(正門)が現存する他、桜丸水の手門の石垣の一部が残っています。
旧飯田城桜丸御門(赤門)
旧飯田城桜丸御門:長野県飯田市追手町2丁目
桜丸御門は、飯田城桜丸の正門として1754年に建造された門です。赤門と呼ばれることもあります。飯田城のものとしては唯一現存する建築物です。
城門としては珍しい赤塗りの門で、門の脇には番所が設けられています。
現在では、長野県飯田合同庁舎の敷地内にあります。
市区町村の文化財
旧飯田城八間門
旧飯田城八間門:長野県飯田市松尾久井
八間門は、飯田城二の丸の正門として文禄年間(1592年~1596年)に建造されたと言われている櫓門です。
櫓門とは門の上に長屋状の建物を配した門のことで、この門の1階は文禄年間の、2階は江戸時代前期の建造と推定されています。城内にあった頃には、両側に配された石垣と共に枡形虎口を構成していました。腰上を太い格子とした門扉や2階に設けられた石落としも、戦国時代末期らしい特徴です。
現在では民家に移築されており、両側には長屋(飯田城から移築)が配されています。
市区町村の文化財