池田城跡公園:大阪府池田市城山町
池田城は、1334年頃に池田教依(摂津の国人)によって築城された平山城です。
国人領主の池田氏の居城として築かれました。
1469年、応仁の乱の最中に、西軍方の大内政弘に攻め落とされましたが、間もなく奪回されています。
1507年の永正の錯乱に始まる両細川の乱(細川澄元・晴元親子と細川高国との家督争い)で細川澄元の側に付くと、翌年には細川高国に攻め落とされ、1531年の大物崩れの際にも高国に攻め落とされています。
城主の池田勝正が三好三人衆に与していた1568年、織田信長が足利義昭を伴って摂津に侵攻してくると、籠城して抵抗を示したものの、城下町を焼かれて降伏、勝正は織田氏家臣となりました。しかしその翌年には池田氏の一族や家臣から三好三人衆方への裏切りが発生、勝正が追放されて、荒木村重の支援を受ける池田知正(勝正の弟)が城主となりました。さらに村重は池田氏を乗っ取り、知正を家臣にしています。1573年に村重が信長に臣従し、翌年に有岡城を築いて居を移すと、池田城は廃城となりました。
1578年には荒木村重が織田信長に謀反を起こし、池田城には有岡城を攻める織田軍の本陣が置かれました(有岡城の戦い)が、有岡城落城後の1580年には信長の命で再び廃城となりました。
五月山の南麓に張り出した尾根に築かれた平山城で、北の杉ヶ谷川と西の崖に守られつつ、東と南に土塁と広大な堀を配しています。築城以来、落城するたびに増強されて、最終的には畿内屈指の大規模な城になりました。現在では本丸跡が池田城跡公園として整備されており、礎石・井戸・排水溝などが復元されている他、模擬の櫓台(展望台)や大手門などが建てられています。桜の名所としても知られています。