今治城:愛媛県今治市通町3丁目
今治城(いまばりじょう)は、1602年に藤堂高虎によって築城された平城です。吹上城、吹揚城と呼ばれることもあります。
1600年の関ヶ原の戦いで功績を挙げてこの地を与えられた藤堂高虎は、まず国分城に入ったものの、この狭い山城では発展性に乏しいことから、新たに今治城を築いて、城下町も整備し、政治・経済・軍事の拠点としました。
1608年に藤堂高虎が移封になると養子の藤堂高吉(丹羽長秀の三男)が城主となり、1635年に高吉が移封されて松平定房(定房系久松松平氏の祖)が入城して以降、久松松平氏の居城として明治維新を迎えています。
高縄半島の北東部、今治平野の海沿いに築かれた方形の大規模な輪郭式平城(海城)で、周囲に巡らせた3重の堀に海水を引き込んで舟で直接出入りできるようにしています。藤堂高虎の移封の際に天守閣が丹波亀山城へ移築された、との説があります。城下町は、現在の今治市の基盤となりました。
現在では内堀の内側(本丸・二の丸・三の丸)が吹揚公園として整備されており、内堀と石垣が残っていて、御金櫓(現代美術館)・山里櫓(展示室)・多聞櫓(自然科学館)・鉄御門・武具櫓が復元されている他、模擬天守(展示室、展望台)が建てられています。園内には、藤堂高虎の像や吹揚神社もあります。内堀の外側は市街地になっており、中堀は埋め立てられて、外堀の一部は金星川などとして残っています。
都道府県の文化財