岩村城跡:岐阜県恵那市岩村町
岩村城は、鎌倉時代中期に遠山景朝が築城した山城です。霧ヶ城と呼ばれることもあります。日本三大山城の1つに数えられています。
1572年、城主の遠山景任が病死すると、景任の妻であるおつやの方(織田信長の叔母)が事実上の城主となりましたが、同年に武田氏家臣の秋山虎繁に包囲され、おつやの方が虎繁と結婚すれば助命するとの条件を容れて開城し、武田氏の支配下に入りました。
1575年に長篠の戦いで武田勝頼が敗れると、織田信忠(信長の嫡男)に攻められ、補給を絶たれて、半年の籠城の末に降伏しました。この際、おつやの方と秋山虎繁は、極刑に処されています。本能寺の変の後には森長可(豊臣氏家臣)の支配下となり、城代の各務元正(森氏家老)によって改修を施されています。
1584年には徳川家康傘下の遠山利景に攻められましたが、撃退しています。1600年の関ヶ原の戦いに際しても利景らに攻められ、城代の田丸主水が持ち堪えたものの、西軍の敗北に伴って降伏しました。
江戸時代には主に大給松平氏の居城として、明治維新を迎えています。
美濃・信濃・三河の境に位置する城山に築かれた、梯郭式の山城です。江戸時代の藩主の居城としては最も高所(標高717m)に築かれていることや、17個もある井戸などが、特徴となっています。また、本丸埋門の石垣には、戦国時代の野面積み・江戸初期の打込接・それ以降の切込接という時代ごとの変遷が見られます。
現在では、三重櫓・六段壁・本丸埋門の石垣や井戸などの遺構が残っており、麓の藩主邸跡では太鼓櫓と表門が復元されています。
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