岩槻城址公園:埼玉県さいたま市岩槻区太田3丁目
岩槻城は、13世紀前半頃に築城されたとされている平城です。1457年に上杉氏家臣の太田道真・道灌親子が築いたとする説もあります。岩付城、岩附城、白鶴城、浮城と呼ばれることもあります。
15世紀半ば以降に古河公方の足利氏と関東管領の上杉氏による争いの舞台の1つとなり、16世紀前半には岩付太田氏の居城となっています。16世紀半ばには太田資正が後北条氏の武蔵国進出に対抗していましたが、1567年に北条氏康の調略によって太田氏資(資正の嫡子)が裏切り、後北条氏の手に落ちました。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐では浅野長政に攻められ、籠城して抵抗するも数日後に降伏して落城しました。
後北条氏が滅亡すると徳川家康の支配下になり、江戸時代中期に大岡忠光(大岡忠相の遠縁)の所領となって以降には大岡氏の居城であり続けました。
舌状台地に築かれており、元荒川を外堀に、沼地内堀に利用した、総曲輪型の平城です。空堀の一部には堀障子(障子堀、畝)と呼ばれる障害が設けられていました。
現在では新曲輪跡・鍛冶曲輪跡などが岩槻城址公園として整備されており、移築された黒門・裏門、菖蒲池(堀跡の一部)、土塁・空堀といった遺構を見られます。桜や睡蓮(菖蒲池)の名所としても知られています。本丸跡は住宅地になっています。
都道府県の文化財