岩屋城跡:福岡県太宰府市観世音寺字大浦谷
岩屋城は、15世紀後半頃に大内氏によって築城されたと考えられている山城です。岩屋城の戦いで知られています。
大内氏による豊前・筑前の支配拠点として築かれたと考えられています。
天文年間(1532年~1554年)には、高橋鑑種(大友氏庶流、大友氏家臣)によって、高橋氏の本城である宝満城の支城とされました。1566年に毛利元就と内通して謀反を起こした鑑種が1569年に追放されると、大友氏の宿老の子が高橋鎮種(紹運 立花宗茂の父)と称して岩屋城主となっています。
1586年、九州統一を目前にした島津氏の大軍に攻められると、800名にも満たない城兵で籠城し、降伏勧告にも応じず、半月に及ぶ徹底抗戦の末に総攻撃を受けて、城主の高橋紹運が自害、城兵も全滅して、落城しました(岩屋城の戦い)。しかし、この戦いで多くの将兵を失った島津氏がこれに続く立花山城攻略に手間取るなどしている間に、大友宗麟の要請を受けて翌年には豊臣秀吉が自ら出陣、島津氏は九州統一を断念しました。
古代に大野城があった四王寺山の南側中腹、大宰府を見下ろす岩屋山に築かれた山城です。
現在では自動車道や登山道が整備されており、土塁や堀切が遺構として残っています。本丸跡には石碑が建てられ、二の丸跡には高橋紹運の墓があります。